蝸牛の歩み

蝸牛の如く,ゆっくりでも着実に前へ・・・

京都人の性?

ケンミンショーで、京都人は「ぶぶ漬でもどうどす」なんて今どき言わないが、かわりに「お茶のおかわりどうどす」と言うというのをやっていた。

ときに、京都出身のうちのヨメサンは人の言うことを額面通りに受け取らず、しばしばネガティブな意味に解釈する。「職場でこんなひどいことを言われた」と愚痴るのでよくよく聞いてみると、別に否定的なことは全然言われていなかったりする。これはヨメサンが被害妄想的な性格なのだと思っていたのだが、ケンミンショーを見ていてはたと気づいた。京都人というのは、常に他人の言葉のウラを読もうとしてしまうのだな、きっと。京都人同士ではうまくいく阿吽の呼吸も、それ以外の地域ではコミュニケーションが成立しないのだ。