蝸牛の歩み

蝸牛の如く,ゆっくりでも着実に前へ・・・

xnissy2007-11-11

母が亡くなった。

8日に倒れたと連絡があったのだが、そこまで悪いとは思わず、また11日に館で開催される講演会の担当だったこともあり、12日に帰省するつもりだった。しかしそれまで持たず、10日の午後に亡くなったという知らせを受けた。

講演会の仕事を引き継いだりしていたら、その日のうちにはどうがんばっても帰れない時間であった。ここから宮崎は遠すぎる。朝イチの飛行機を予約し、とりあえず浜松町まで行った。そこまで行けば何とかなるだろうと思ったが、歩き回って訪ねた数件のホテルは全て断られ、やっとカプセルホテルに転がり込んだ。

5時過ぎにホテルを出て、6:40だかの便で宮崎へ。汽車で南宮崎まで行き、そこからタクシーで実家へ。門には「忌中」の札が貼られていて、本当なのだと思い知らされる。そして家に入ると、母が寝室の布団に寝かされていた。顔かけられた白い布をとると、顔はやせて皮ばかりになっていた。触るともう冷たかった。お土産の魚沼産コシヒカリを枕元に置き、学位記を見せた。

母に前回会ったのは、家の引っ越しを手伝った去年の2月だと思う。今年の正月は学位論文で忙しかったし、春は引っ越しでそれどころではなく、また夏休みもなかったので、ずっと会っていなかった。また母も体調がよくなく帰っても何もしてやれないから帰ってこなくてよいと言っていたのよね。そんな言われても、去年の夏あたり帰ろうと思えば帰れたはずなのに。何ともまあ親不孝なことをした。

家には祖母が来てくれていた。昨日、鹿児島から見舞いに来てくれたそうだ。そして帰ろうと駅にいたところ、放送で呼び戻されたということだ。そして昨晩は父と祖母とで交代で線香の番をしてくれたのだという。

昼前だったか、葬儀屋の人が来て体をきれいにしてくれた。その後、棺に入れるのは私も手伝った。午後は棺に花を入れた後、蓋をされてしまったように思う。そしてしばらくして、葬祭場に移動した。

祭壇で、母はにこやかな笑顔で花に囲まれていた。通夜では遺族席に座り、弔問客にぴょこたんぴょこたんと頭を下げた。辛かったのは夜。蚊取り線香のような線香があり、朝まで持つとはいうのだが、伯母夫婦と父と私とで交代で起きていることになった。これが眠いのなんの。父は前日2時間くらいしか寝てないと言うし、私も4,5時間か。2時ぐらいには限界になり、机に突っ伏していた。。。